世界遺産は人類の財産であるだけでなく、地域にとっての大きな観光資源でもあります。しかし中には一般の人々の立ち入りを制限されている世界遺産もあります。洞窟壁画で有名なでスペインのアルタミラ洞窟やフランスのラスコー洞窟、タイにある「トゥン・ヤイ・ナレースアン」、「ファイ・カ・ケン」の漁野生生物保護区など学術的な見地や環境保全などの理由から制限されている世界遺産は少なくありません。日本でも白神山地の一部や端島(軍艦島)など立ち入りに制限のある世界遺産はこれまでにもにありました。しかし2017年に登録された「神宿る宗像・沖ノ島と関連遺産群」の中心的存在である沖ノ島は観光どころか上陸そのものが禁止された世界遺産なのです。
神宿る神秘の島に眠っていた海の道の生き証人
九州本土の北西60km周囲4km、玄界灘に浮かぶ沖ノ島は島の全域が宗像大社沖津宮(おきつぐう)の境内であり、信仰の対象です。一般の立ち入りは禁止され、沖ノ島で見聞きしたことを口外してはならない(「不言様(おいわずさま)」)、全裸になり海中で穢れを祓う(「禊(みそぎ)」)、島から一木一草一石たりとも持ち出してはならないなどの厳格な禁忌によって守られてきました。2019年現在でも一般人の立ち入り・上陸は禁止※されています。神宿る島と銘されている沖ノ島ですが、多くの島々からなる日本列島の中でなぜ沖ノ島が神聖視されているのでしょう。その背景には日本と大陸の位置関係や文化交流の歴史がありました。4世紀から9世紀にかけて日本列島、朝鮮半島および中国大陸の間では活発な交流が行われていました。造船技術や航海術が未発達だった当時、海上交通は大きな危険を伴う冒険でもありました。そのため拠点となる地では危険な航海の安全を願うための祭祀が行われ豊富な宝物が奉納されました。日本と諸外国を結ぶ海上交通の中間地点にある沖ノ島は特に重要な拠点でもあったのでしょう。海上交通の平安を守護する宗像三女神の田心姫神(たきりびめ)を祀る神域として、貴重な宝物が奉納されたことが想像できます。これを証明するように沖ノ島からは、朝鮮三国時代の馬具や中国六朝時代の金銅製竜頭、ササン朝ペルシアのカットグラス、唐三彩長頸瓶など、当時の国際交流の中で沖ノ島が重要な位置を占めす宝物がたくさん発見されました。出土した国際色豊かな約8万点もの奉献品はすべて国宝として指定されています。 盗掘によって多くの古墳や遺跡から貴重な事物が失われる中、上陸できない神域の孤島という条件によって守られてきた沖ノ島の宝物は、まさに「海の正倉院」にふさわしい人類の財産です。海上交通の歴史や文化の形成など日本とアジア諸国の交流を物語る海の道のドラマです。
※2017年までは日本海海戦を記念して5月27日に開かれる現地大祭に限り一般人の上陸が許可されていました。
神の島の手前で世界遺産を見る 学ぶ
宗像市神湊港から渡船で約25分の大島には、宗像三女神の湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀る宗像大社中津宮(なかつぐう)があります。境内にはその名も「天の川」という川が流れ、その両岸には牽牛社・織女社があります。中津宮で最も盛大な神事である七夕祭は、旧暦の7月7日に近い8月7日に行われます。島の北側にある宗像大社沖津宮遙拝所は、沖ノ島を遥拝(遥か遠くから拝むこと)するために設けられました。晴れた日には水平線上に浮かぶ沖ノ島を望むことができます。遥拝所の周辺には宗像三女神の田心姫神が馬に乗って沖ノ島へ飛び渡ったひづめの跡と伝えられる馬蹄岩や江戸時代に長崎から逃れてきたキリスト教神父・ヨハンが隠れ住んだ通称「ヨハンの洞窟」(三浦洞窟)、第二次世界大戦の砲台跡など数奇な歴史を物語る史跡が残されています。 宗像三女神のもう一柱(ひとはしら)市杵島姫神(いちきしまひめ)を祀るのが宗像市にある宗像大社辺津宮(へつぐう)です。福岡県宗像市にある辺津宮は宗像三女神信仰の中心地として、多くの参拝客を集めています。また天正6年(1578年)再建と伝えられるこけら葺きの大屋根が美しい本殿、天正16年(1590年)小早川隆景再建の拝殿は、共に国の重要文化財に指定されています。 宗像市の西にある福津市には海外交流の担い手であり沖ノ島の祭祀を行ってきた古代豪族宗像氏の墳墓群があります。新原・奴山古墳群と呼ばれ現存する概要は、前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基。いずれも5世紀から6世紀にかけて築かれました。古墳群の散策を通して、大海原に夢を追いかけた古代のロマンを感じてみてはいかがでしょう。
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