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フィナーレの奉納花火が圧巻|大阪「天神祭」の由来とは

2023年12月02日

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大阪の天神祭は、京都の祇園祭・東京の神田祭とともに日本の三大祭と言われているものです。
由来は学問の神様として知られている菅原道真公を天神さまとして祀っている大阪天満宮のお祭りです。
お祭り文化と言われるほど日本各地で行われる祭りの中でも、数多くの観客が訪れる祭りの一つでもあります。
中でも船渡御と陸渡御、奉納花火は圧巻で毎年ニュースでも放映されるほどです。

天神祭の会場

天神祭の始まりと言われているもの

大阪天満宮が創祀されたのは、今から約1,070年前の平安時代後期の949年でその翌々年の951年に鉾流神事が始まったのが最初と言われております。
鉾流神事は、社頭の浜から大川に神鉾を流して漂着した場所を御神霊が休憩される場所と決め、そのルートに沿って御神霊が陸路で川岸まで到達し、其処から乗船して大川を下ることです。
この航行が船渡御と言われていることで天神祭の始まりとされております。

大川での船渡御の風景

今では、船渡御の乗り場まで約4キロの道のりを花笠などの様々な装束を身につけた人が催し太鼓を先頭に山車や牛などと一緒に練り歩き、大川には奉安船や供奉船なども流れていきます。
大阪は豊臣秀吉の時代から天下の台所と呼ばれる位の水都と呼ばれて、市内にはいくつもの川が流れていますが、天満宮のすぐ隣を流れる『大川』で船渡御が行われるのが特徴です。
天神祭は7月25日に行われるもので、これは菅原道真公が生まれた日も亡くなった日も25日だったことにちなんだとされております。

天神祭のみどころの行事

天神祭は、6月下旬からの装束賜式や船割りから始まり7月7日の天神祭儀の天満天神七夕祭を皮切りに、宵々宮のギャルみこしや宵宮の鉾流神事、本宮と行事が進んでいきます。
中でも7月25日に行われる本宮の陸渡御・船渡御・奉納花火大会が見ものとしては有名で、外国人を含め多くの観光客が訪れ、毎年100万人以上の観客で大混雑となります。

盛り上がりを見せる天神祭

昨今では船渡御の行事で著名人や芸能人が乗船した船もあるのでよけいに若い人達にも人気があると言えます。
宵々宮の23日に行われるようになったギャルみこしも今や名物の一つとなり、オーディションで選ばれたギャル達がみこしを担いで練り歩く様子は、華やかさと若さが溢れており「元気で活気のある街」といった印象を受ける人も多くなったと思います。 又、天神祭は学業成就だけではなく商売繁盛を祈るお祭りとも言われておりますので、商売繁盛の大阪打ちという手締めも有名になり商売繁盛を祈る人々も多く訪れています。

時代とともに船渡御が変化した理由

大坂の陣で一時的に吹田に避難した大阪天満宮は江戸初期に再び今の場所に還座されましたが、鉾流行事は御旅所の常設により中止となりました。
このことで船渡御のコースは固定化され祭礼の一部始終を事前に計画できるようになりました。
その後鉾流行事の再開と中止の歴史がくり返され、船渡御も中止され本殿のみ祭儀のみとなった時代もありますが、歴史ある船渡御を継続するために昭和28年に大川を上流に遡って航行するという新しいコースで復活して現在に至ります。世情不安や維新以来の大阪経済の沈滞や昭和に入っての大阪一帯の地盤沈下での大川の水位上昇などの理由で船渡御は、様々な変化がありましたがそれ以来コースを少しづつ延ばしながら天神祭を代表するものとして現在に至るまで続いております。このことから考えると、日本の歴史とともに祭りが様変わりしていくもののその根底には大阪経済とともに歩んできた祭りと言えると思います。

天神祭の奉納花火

祭り文化と言われるほど各地で祭りが多く開催される日本は、その歴史とともに庶民の暮らしを支えてきた信仰が基本となっているものが多く、災害や苦難を乗り越えるため受け継がれてきたものも多くあると思います。
大阪天満宮の中には、菅原道真公に関する資料館もあり天神祭を見る際に歴史を振り返ることもできます。
平成6年にはオーストラリアで天神フェスティバルとして斎行され、日本を代表する祭りとして感動を与えました。

お問い合わせ

大阪天満宮
電話:06-6353-0025
天神祭総合情報サイト:http://www.tenjinmatsuri.com/
住所:大阪市北区天神橋2丁目1番8号

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