四季の国を名乗るほど季節の移ろいを大切にする国日本。その暮らしの中には、自然と密接に結びついた遊びの文化があります。何事にもとらわれない自由な精神を対越にする日本の遊びは、ゲームや遊戯などの範疇にとどまることなく、生活リズムのなかにさえ息づいています。山遊び、川遊び、磯遊びなどの言葉で語られる日本人の遊び心は、四季の移り変わりを楽しむナチュラリスト的なセンスの表れでもあるのです。
遊びをせんとや生まれけむ
「戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ」と続くこの古歌は、有名な梁塵秘抄(りゅうじんひしょう)の一文です。この歌の中には日本人の遊びに対する感性や人生観が描かれています。子供が自然に見えるもの、感じることを遊びとして捉えるように、夢中になって生きることの大切さ。一言で言えば自由な感性を大切にするという姿勢そのものなのかもしれません。 仕事や勉強に忙しくて、休まる時がないとも言われる現代の日本社会。でもそれも捉え方一つではないでしょうか。最近の若い世代には仕事を遊びの延長として楽しんでいる人も多く見受けられるような気がします。時代が変化しようとしているとき、今までなかったような新しい価値観が生まれます。ロボットによる自動化社会の到来を、従来の仕事を奪うものと見るか、仕事から開放され新しい人間性が芽生える分岐点と考えるか。視点の違いで、個人的にも社会的にも未来は大きく変化します。 そんな時代の変換点に立つ今、私達に求められているのは日本人が大切にしてきた自由な遊び心を取り戻すことだと思うのです。
野遊びのすすめ
今の言葉に置き換えるとアウトドアの楽しみ方とでもいうのでしょうか。山や川、海などでのレジャーやレクリエーションです。歴史を調べてみると意外な事実に気づくことがあります。例えばサーフィンもそのひとつ。日本のサーフィン発祥地といえば、湘南一体の海岸をイメージしますが、文献によれば江戸時代にも同じような遊びがありました。江戸時代、出羽国庄内藩領の湯野浜(山形県鶴岡市湯野浜)を湯治で訪れた俳人の日記には「この辺りの12、3歳位の子どもたちが10人ばかり、手に手に舟の板を持って、荒波の中へ飛び込んで沖へと乗り出して行く(以下略)」と記されています。この板は「瀬のし」と呼ばれる一枚板とありますから、これサーフボードでなくてなんでしょう。先程の「遊びをせんとや生まれけむ」ではありませんが、いつの時代にも子供は遊びの天才です。と考えると鎌倉の海岸で武士たちがサーフィンを楽しんでいたのでは。そんな楽しい想像も浮かんでくるではありませんか。
野遊び道具にも日本流の遊び心
釣りや秋の山菜採り、野原の花摘みなども野遊びのレパートリー。季節を楽しむという点では早春の梅見や春のお花見など行楽的な野遊びもメジャーな存在です。日本の遊び心を知るという視点では、遊び道具についても一言。お茶の世界では野点(のだて)に欠かせない鮮やかな緋毛氈(緑に映える赤が美しい!)や野点傘、そして茶道具をコンパクトに収納する箱などにも美術品の趣があります。 野点は古くは「野掛」(のがけ)とも呼ばれていましたが、この「野掛」とはアウトドアで食を楽しむ日本流のピクニック。そこで登場するのが提重(さげじゅう)などのお弁当箱です。欧米のピクニックバスケットもカトラリーの収納という点では十分に機能的ですが、贔屓目を抜きにしても提重の機能性+美しさにアドバンテージがあると思うのです。重箱に小皿や盃、徳利までもがインクルーズされて、これひとつで観劇、お花見、紅葉狩り、お月見や夕涼みとオールマイティーな使い方に対応。しかも漆や蒔絵で美術的な美しさもとなんて欲張りなんでしょう。この多機能をコンパクトに集約したお道具、日本人が得意とするものづくり文化そのものではありませんか。遊びの中に隠された、新しい価値観へのヒント。この遊び心こそ、日本的クリエイティブの原点です。
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