日本文化の特徴ってなんでしょうかね。海外から入ってきた文化を独自の解釈で咀嚼し、自らの文化として洗練発展させていくというのは分かるんですが、疑問なのはその“独自の解釈”というヤツのベースになにがあるのかということ。 この日本的な意識の根源とかいうものこそ、神道にあるのではと思うのです。清明心(きよきあかきこころと読みます)というあれですね。意味はというとやましさのない澄み切った心ですかね。いってみれば澄み切った無色の世界。だからどんな色も受け入れる。つまり外来の文化を受け入れる柔軟性とも捉えることができるわけです。排他的な意識は抜きにして、興味のあること、面白そうなものはどんどん取り入れるこの精神が日本文化を現在のようなものにしたのではないかと思うのです。 さて話はそこから一気に2004年世界文化遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」へ。太古からの信仰の場であるだけでなく、仏教伝来以来山岳信仰の修行地という側面も 持っています。この極めて日本的な精神の象徴でもある世界文化遺産、清明心が仏教というファクターを受け入れた素晴らしい実例でもあるのです。 日本文化の本質を知るためにこれ以上ふさわしい場所はありません。そんな「紀伊山地の霊場と参詣道」の魅力をご紹介してみましょう。
3つの霊場を結ぶ熊野古道
「紀伊山地の霊場と参詣道」は熊野三山、高野山、吉野・大峯の3つの霊場と、霊場へ続く参詣道である熊野古道から構成されています。個々の霊場は、もともとは異なる信仰の場として独立した存在でしたが、霊場を結ぶ参詣道により行き来が盛んとなり神道と仏教の交流による神仏習合(しんぶつしゅうごう)の文化へ繋がったとされています。ここの霊場を固有の文化と考えると互いを結ぶ参詣道である熊野古道の重要性がわかってきます。現代の言葉に置き換えれば情報交流のインフラ。インターネット回線にも似た役割をになっていたのです。この熊野古道には紀伊路、小辺路、中辺路、大辺路、伊勢路、大峯奥駈道の6つのルートがありますが、一般的に熊野古道と呼ぶ場合は中辺路を指すことが多いようです。田辺から本宮、新宮、那智に至る中辺路は平安時代から鎌倉時代にかけて皇族貴族が行った「熊野御幸」の公式参詣道(御幸道)。後鳥羽院や藤原定家、和泉式部も歩いた巡礼路です。有名な石畳の道や杉木立など厳しくも美しい日本の美を感じさせる道程には、古からの日本の心に触れる清澄な空気さえ感じずにいられません。
吉野・大峯
大峰山脈の北側青根ヶ峯までを「吉野」、以南を「大峯」と呼びます。この霊場は、古代から続く山岳信仰の地。急峻な山道からも厳しい修行の場であったことがうかがえます。修験道の開祖“役行者”(えんのぎょうじゃ)ゆかりの地でもある吉野は、春には美しい桜が咲き誇る吉野桜の名所。吉野山、吉野水分神社、金峯神社、金峯山寺、吉水神社、大峰山寺が世界遺産の構成資産となっています。
熊野三山
熊野三山とは地形としての山ではなく「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の3社と「青岸渡寺」「補陀洛山寺」の2寺をあわせた呼び名。その関係は複雑で先の3社は長い歴史の中で主祭神を相互に勧請し「熊野三所権現」として信仰されるようになりました。2寺は、神仏習合の過程で熊野那智大社と密接な関係を持つようになり、3社と合わせて多くの信仰を集めるようになったのです。3社2寺に加え那智の大滝、那智原始林が世界遺産の構成資産となっています。
高野山
高野山は、空海(弘法大師)が開いた日本を代表する真言密教の聖地です。高野山の二大聖地のひとつ「壇上伽藍」は空海が真言密教の根本道場の始まりとして整備に着手した場所。境内には根本大塔、金堂など19の建造物が建ち並びます。もう一方の聖地「奥之院」は空海入定の地、弘法大師御廟は大師信仰の中心となる聖地です。丹生都比売神社、金剛峯寺、慈尊院、丹生官省符神社が世界遺産の構成資産となっています。
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