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花見は日本文化に特有の習慣?日本人と桜と花見の関係

2023年08月09日

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春といえばお花見、と思う人も多いのではないでしょうか?日本文化として根付いている桜の花見ですが、この文化に興味のある外国からの訪問者向けに、英語などで通訳されたお花見の本もあります。また、インターネットの動画で日本文化を紹介するものの中に、日本には花見をする習慣があることを紹介しているものもあり、日本文化に興味がある外国人が花見の季節に合わせて来日することも珍しくありません。

日本文化として根付いている桜の花見

昔の花見は梅だった!宴会もなかったって本当?

現代の花見といえば、桜の花の下で宴会をするのが主流になっていますが、昔からこのスタイルだったのでしょうか?実は昔の人は日本酒などを飲みながら盛り上がったかわけではないようです。それでは花見というものがどのような歴史をたどってきたのかを見ていきましょう。
古くは1300年ほど前にさかのぼりますが、当時はまだ奈良時代京都奈良を中心に栄えていた頃です。まだ京都に都はうつされていませんので、単なる平地で人は生活していたのでしょう。
現在花見といえば桜ですが、当時は梅の花を見ていたとされています。実際に、奈良時代に読まれた万葉集和歌の中には花の種類がいくつか出てきますが、桜以外の花が多いことがわかります。桜よりもおよそ3倍ほども梅が登場するので、昔の人は花見といえば梅だったのでしょう。さらに時代がすすむと、状況は少しずつ変わってきます。

現在花見といえば桜ですが、当時は梅の花を見ていた

平安時代には桜の花を愛でる文化に

時代は梅の花を見るのが主流となっていましたが、平安時代になるころには次第に桜の花を見るのに変わってきます。その背景には平安時代のころに行われていた遣唐使が廃止されてしまったことが関係しています。遣唐使と花にどのような関係にあるのか疑問に感じる人も多いでしょう。
実は、梅の文化は中国が由来といわれており、もしかしたらお花見そのものも中国から伝わってきた可能性があります。しかし遣唐使が廃止されの文化が入らなくなったことから、今度は日本独自の桜の花見が主流になってきたことが想像できますね。
この頃から宴会をしていたかといえば、まだほとんどの人はしていなかったようです。当時は単に花を見るだけで”お花見”と呼んでいました。もしかしたら本来の日本文化である”花見”は、平安時代のころが一番純粋なのかもわかりません。

日本独自の桜の花見が主流になってきた

現在の花見スタイルには豊臣秀吉の影響あり

豊臣秀吉は農民出身で天下統一したことが知られていますが、天下統一する前後からお花見を盛んに行っていました。吉野の花見では大規模な宴会を行っていたとの記録があります。現在のように桜の下でお酒を飲んだり、踊ったりして盛り上がる花見を始めたのは豊臣秀吉だったかもしれません。もしかしたらすでに宴会をする花見もあったかもしれませんが、本格的に広めたのは当時日本全体に影響力をおよぼしていた、豊臣秀吉の影響が強かったことが想像できます。
しかしこれは身分の高い人だけの話で、まだ庶民はそこまで余裕はありませんでした。江戸時代には、春の神様を迎えるためにお花見をしていたとの記録がありますが、農民の間ではやっていたもので、豊臣秀吉のころの”花見”とはちょっと異なります。それでも次第に両者が融合し、四民平等になった明治時代のころには現在のスタイルができあがったといえるでしょう。

桜の下でお酒を飲んだり、踊ったりして盛り上がる花見

梅から桜に変わっても花を愛でる文化は古くから

現在お花見といえば桜の花が主流ですが、歴史的にみると奈良時代のころには梅の花で行っていたとされています。しかも当時は、今のようにお酒を飲みながら花を見たのではなく、花を愛でることを楽しんでいたとされています。
現代のように花見=宴会に変わってきたのは豊臣秀吉が走りといわれていますが、農民の神様を迎える風習と合わさって、江戸時代の終わりから明治時代のころには現代の花見の形ができあがったようです。
花をみて春を喜ぶ文化は、海外の方にも通じるものがあると信じたいものです。宴会はマナーを守って楽しみたいものですね。


花を愛でることを楽しんでいた


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