天草四郎といえば、歴史の授業などで聞いたことがある方も多いでしょう。日本最大の一揆と言われる、”島原の乱”を率いたことで有名ですね。
そんな天草四郎ですが、巷ではイケメンだったのでは!?という噂が出回っています。この記事では、天草四郎イケメン説の真相を究明していきます。
天草四郎とは
その前に、天草四郎について詳しいプロフィールを紹介しておきます。
天草四郎の本名は、益田四郎時貞。出生には様々な説があり、実は生年も歴史上正確な年はわかっていません。もっとも有力なのは、上天草市出身の小西家の浪人、益田甚兵衛の息子という説です。
四郎が育った益田家は、現在の熊本県である宇土にあり、その後長崎に移り住み、四郎はキリシタンになったと言われています。
天草四郎の逸話
「江戸ガイド」より
そんな天草四郎には様々な逸話が残されています。経済的にも恵まれており、優れた教養を持った天草四郎は、盲目の少女を触れただけで直したり、また海面を渡るなど、多くの奇跡を起こしたとされています。
ただし、これらはイエス・キリストやモーゼのものと酷似しており、神格化するために作られた話だとも言われています。
また、島原の乱当時、若干17歳前後だった天草四郎が総大将に祭り上げられたのは、ちょうど四郎が生まれる25年前、ママコフ神父といわれる人物が残した25年後、16歳の天童が現れ、パライゾ(天国)が実現するであろう。」 予言の影響が大きいといわれています。
イケメン説の真相に迫る
それでは、いよいよ天草四郎イケメン説の真相に迫っていきたいと思います。一揆勢が三ヵ月も籠城した島原の乱では、幕府軍は一揆勢を徹底的に絶滅させようとしたため、実は当時の史料はほとんど残っていません。
唯一残っているものは、生き残りである山田右衛門が記した「山田右衛門佐口書写」です。
その中には、容姿に関する言及はほとんどなく、あるのは額に痣があったという言葉のみ。
つまり歴史的事実としては、天草四郎の容姿が優れていたという点については、全く証明されていないのです。
人は浪漫には勝てない
そんな天草四郎ですが、多くの人がイケメン説を信じてやみません。数々の奇跡を起こし、齢17歳にして、3万人を超える人々を率いて一揆をおこした。そんなストーリーに、人は浪漫を感じるもの。
そんな浪漫の中で、天草四郎イケメン説は作られていったのかもしれませんね。
一番イケメン?な天草四郎像
https://tabinoto.jp/gallery/article/00000177
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