かゆいところに手が届くという表現がある。気が利いているとか、細部にまで配慮が行き届いている状況を指す言葉だ。繊細な心遣いと言い換えてもいいだろう。例えばタクシーのドア、日本では当たり前のように自動で開くが、海外ではそんなサービスに出会う機会はまずない。それだけに逆のケースでは驚く外国人が多いのだ。驚きの声の多くは、そのサービスを賞賛する喜びの声だが、一部に不満を漏らす外国人も少なくない。 「ドアは自分で開けるからもっと料金を安くしてくれ」「ドアレバーに手をかけたら自動で開いたので手をケガしそうになった」などだが、その意見、特に料金に関しては共感するところも少なくない。自動運転が普及するとタクシー料金も現在の5分の1〜10分の1程度に下落するとの試算もあるそうなので、価格については今後に期待というところか。しかし、万事にロボット化・オートコントロールが進んでも、この日本的サービスは継続してもらいたいものだ。
日本の温水洗浄便座第一号はウォシュレットじゃなかった
これはすでにどこでも何度も語られていることだが、あのシャワートイレという代物。これに驚嘆する外国人は、我々の予想を遥かに超えて多い。手持ちのシャワー付きトイレには慣れているはずのアラブ系も、自動でピンポイント洗浄しかもムーブ機能など吐出方法もいたれりつくせりの温水となると驚くようだ。だが、もともとはこのシャワートイレ海外で医療用に開発されたはずの商品。その機能性が日本の“かゆいところに手が”精神変じて“汚れたところを”きれいにとなったわけだ。ちなみに日本のシャワートイレ第1号はTOTOのウォシュレットとしている記事を見かけるが、温水洗浄便座付き洋風便器としては1967年10月発売と伊奈製陶(後のINAX現リクシル)が10年以上も先行している。とはいえウオシュレットの愛称で一気に認知度を高めたのはTOTOの功績という以外ないだろう。
日本ホスピタリティの先に新しいものづくり
どうしても人の目が気になる。これは否定しても拭い去ることのできない日本人的特長のひとつだ。その結果として優しさやホスピタリティ、相手の立場に立ったものづくりなど、一種おせっかい的な「こうすると便利」から様々なものを生み出してきた日本。常識を一変させたり、世界を驚愕させるインパクトはなくとも、小さな驚きと“その手があったか”の声をあげさせてきた日本のものづくり。日本のそして日本文化の魅力はそこにある。私達にとっては当たり前のことが外国人を驚かせる。その原点に立ってものづくりを考える時、日本の新しい方向性が見えては来ないだろうか。
ダイバーシティが新しい日本的ものづくりをサポートする
女性活躍に関する用語としてダイバーシティという言葉をよく耳にするが、これは女性に限ったことではない。ジェンダーや年齢、家族構成、文化など、様々に異なる「多様性」を指す言葉だ。ものづくりに置き換えると、物事をより多くの視点で考え、工夫するプロダクツといっていいだろう。 日本の文化が育てた「かゆいところに手が届く」的ものづくりの技術や工夫に異なるバックグラウンドをもつ人たちのアイデアをミクスチュアする。それが日本の新しいものづくりに文化に求められているものではないだろうか。ここでいう異なるバックグラウンドというのは単に言語や文化、気候などの異なる海外の人を指すわけではない、身体に障害のある人や、宗教感の違い、LGBTを含めたジェンダーによる感覚の差。すべてが新しいものづくりやシステム構築の指標となる。日本文化が培ってきた「どうしたら相手に優しくできるだろう」「喜んでもらえるだろう」というホスピタリティとダイバーシティーの結びつき。海外の人々が思わずスタンディングオベーションさえしてしまいそうな新しい日本文化への未来は多分そこにこそある。
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