日本の食

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実はポルトガルから伝わった?日本でお馴染みの「天ぷら」の歴史

2019年03月07日

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天ぷらといえば日本を代表する食文化の一つであり、海外でも非常に有名なものです。
しかし、源流としては海外から伝わったものであるということを知らない、あるいは知っているけれども、なぜそれが日本を代表する料理になったのかを知らない人もいるのではないでしょうか。
ここでは天ぷらの源流について掘り下げていきます。

天ぷらといえば日本を代表する食文化の一つ

鉄砲の伝来とともに日本に伝わった

1543年頃に日本に鉄砲が伝えられ、それ以後は合戦の仕方も大きく変化を遂げることになりました。
鉄砲の伝来は日本の歴史の中で非常に重要な出来事であるのですが、伝わってきたのはそれだけではありません。
時同じくして海外からは様々な文化が入り込むようになり、新しい食事もたくさん入ってきたのです。
その中の一つが今では日本を代表する料理となった、天ぷらだったというわけです。
最初に日本に入ってきたとされるのが長崎で、この頃のものは衣に砂糖や塩、酒などで味付けをしているためそのまま食べて衣と素材の味を楽しむものだったのです。
この調理法は誰もが楽しむことができたわけではなく、当時は油が貴重なものであったことから、庶民が気軽に食べる事ができるものではありませんでした。
これが今日よく見られる天ぷらなのですが、素材を油であげる食べ物自体はそれ以前にもあり、同じく天ぷらと呼ばれることがある、揚げかまぼこ薩摩揚げと言ったものはすでにありました。

揚げかまぼこや薩摩揚げ

文献上初めて天ぷらが登場する江戸時代

天ぷらが伝わったのは鉄砲が伝来した室町時代とされていますが、実際に文献上に初めて登場をしたのは江戸時代で、1669年に発刊された食道記の中に「てんふら」という名前を確認することができます。
室町時代には貴重であった油でしたが、生産技術が向上したこともあって、庶民でも気軽に食べることができるようになり、一躍人気料理の一つとなりました。
その頃には屋台で販売されるようになり、揚げたての天ぷらを串に刺して立ち食いするスタイルが確立されました。
一品ずつ販売をすることができ、食べる側も好きなものを自由に選ぶことができるためたちまち人気のファーストフードになったわけです。
それが江戸時代の終わりになると屋台から料亭や専門店での提供が増えるようになり、次第に現在の形に近づいていきます。
そして、江戸で流行っていた天ぷらが日本中に広がることになったきっかけが、皮肉にも関東大震災の影響によるもので、職を失った職人たちが日本中に移り渡って広めたとされています。

揚げたての天ぷらを串に刺して立ち食いするスタイルが確立

一般家庭でも食べられるように

歴史を見てみると昔は外で食べるものであったのですが、文明の発達により一般家庭でも揚げ物をすることができるようになったことから、一時は高級料理化していたものも再び庶民の食べ物となるようになりました。
レバーをひねれば簡単に火がつくガスコンロに、大量で安価に油を購入することができるようになったため、個人でも気軽に揚げ物を作ることができるようになったのです。
また、輸送技術や冷凍技術が発達をしたことから、傷みやすい食材に関しても日本全国どこでも新鮮な物を手に入れることができるようになりました。
江戸時代では遠く後まで江戸の海で取れた食材を運ぶことができませんでしたから、それらの海鮮の揚げ物はある意味江戸前の特産品だったわけです。
それが大正から明治、昭和と時間がたつに連れて様々な技術が発達したことによって、江戸前でしか食べることができなかったタネでも、日本中どこでも食べられる庶民の味になったのです。
そして、何時しか日本を代表する料理の一つにもなりました。

個人でも気軽に揚げ物を作ることができるようになった

サクッとした食感で新鮮な海の幸や野菜を揚げた天ぷらは日本人なら誰もが好きな料理の一つで、海外からでも日本を代表するものだと思われています。
しかし、そのルーツには外国からの伝来があり、最初は一部の人間しか食べることができなかったものが、庶民に広まりその結果として日本を代表する料理となったということを知ると、揚げ物を食べる時にまた見方も変わってくるのではないでしょうか。

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