今でこそ、特別なセレモニーや結婚式以外で和服を目にする機会はぐっと少なくなりましたが、60〜70年ほど前までは普段着に和服もあたりまえのことでした。明治大正まで遡ると女性に限ってみれば服装は圧倒的に和服が主流だったようです。封建制の名残がまだまだ強かった時代、女性に保守的な生活を求める周囲の意識も影響していたのでしょう。
しかし、男性の場合はちょっと事情が違いました。男性が洋服に親しむようになった理由は意外なことに軍隊。明治維新の官軍の服装を見ても分かる通り、軍隊の服装は動きやすい洋装が採用されていました。そのため、国民皆兵だった当時の男性は、女性に比べて洋服に袖を通すことが自然だったのです。 話は横道に逸れますが今食卓の定番となっているカレーやトンカツ、肉じゃがなどが日本中に広まったのも軍隊のメニューからだったそうです。歴史って意外なところで私たちの生活に影響を及ぼしているんですね。
元祖おしゃれさん モダンガールって知ってますか?
大正の末期から昭和の初期にかけて都会の男女の間で流行したのがモガ・モボ(モダンガール・モダンボーイの略)と呼ばれるおしゃれさんのための先端的なファッションです。ミディ丈のスカートに髪はボブカット、クロッシェで颯爽と銀座を歩くというのが当時の女性の最先端。でもこれは都会のしかも一部の人たちの場合です。
本当に女性のファッションが大きく変わったのは第二次世界大戦の後のことです。進駐軍と呼ばれていたアメリカ占領軍の女性兵士たちのパッドを入れたいかり肩のミリタリールックや、アメリカ映画などの影響でアメリカンルックが大流行。神田の共立講堂で開催された「全国ファッションコンクール」などもあり、一気に洋装ファッション主流の時代となっていったのです。1950年代に入るとこの傾向は更に加速、ディオールのコレクションが紹介されたり、Aライン、Yラインと呼ばれるスタイルやスカートを膨らませた落下傘スタイルなどが流行となりました。
そうそう、当時皇太子妃だった正田美智子さんの「ミッチースタイル」も忘れるわけにはいきません。60年代にはメンズファッションの世界にもアイビールックのVAN、コンチネンタルスタイルのJUNなどが登場しました。ミニスカートの大流行も60年代のことです。
ananと日本人デザイナーの時代
70年代をリードしたのはファッション情報誌an・an。当初はフランスのファッション誌ELLEの日本版という位置づけで、タイトルも「an・an ELLE JAPON(アンアン エルジャポン)」だったことは今や昔話です。
それまで一部のデザイナーを除き、アメリカやヨーロッパから入ってきたファッションを受け入れる一方だったファッションデザインの世界にはこの頃から新しいトレンドが動き始めました。日本人デザイナーの活躍です。高田賢三、三宅一生、山本寛斎、川久保玲、菊池武夫、コシノヒロコ、コシノジュンコ、山本耀司など現在でも大御所として活躍するビッグネームが次から次へと斬新なデザインで世界を驚かせました。
日本人の服装文化に影響を与えたという意味ではユニクロの登場も特筆すべき出来事です。ベーシックな服装の大切さや気軽に服を楽しむことを教えてくれたこのファストファッションのロゴは今や世界的なアイコンとして認知されています。
いくつものチャプターを経て成熟の時代を迎えた日本のファッション文化。新たなトレンドを作り出す世代も次々と現れています。コシノ三姉妹の三女コシノアヤコの娘ミチココシノ、川久保玲の元で学んだジュンヤワタナベ、原宿発のブランド「ネイバーフッド」や「ア・ベイシング・エイプ」などなど。
これからますます面白くなる日本のファッションに期待したいものですね。
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