文化や芸術は異なる価値観や感性、表現手法に出会うことで、新しい未来を開きます。異文化との出会いこそが、若く新しい可能性を開く原点だとも言えるでしょう。
例えばアニメや漫画といったサブカルチャーを入り口に日本という解を発見した外国人たちがいます。かつて浮世絵が印象派のアーティストたちに影響を与えたように、若い感性は異なる発想や行動様式に突き動かされるように、新しい未来を選び取ることさえあるのです。 ここに紹介する彼らの場合はその未来が、日本の伝統文化だったというだけのお話。
話芸の世界に生きる青い目の落語家たち
言葉の壁はないとされる音楽に比べ、日本語や日本的感性がなければ理解が難しいとされる落語にもなぜか外国人のお弟子さんが多いようです。
上方落語の桂三輝(かつらさんしゃいん)、おなじく桂一門の桂福龍は共にカナダの出身、イギリス出身の女性落語家ダイアン吉日さんも上方落語と外国人落語家の世界は西高東低のようです。
とここまで書いて気が付きました。江戸落語にはあの人がいるではありませんか。明治期に活躍した初代の快楽亭ブラック師匠。イギリス出身の彼が落語家という日本固有の話芸の世界を志した理由はわかっていません。しかし、多感な少年期に異国文化の洗礼を受け、それが本来のアイデンティティとの間で相克を生んだと考えれば、理解できなくもありません。ブラック師匠はヨーロッパの小説を翻案した噺や創作落語、高座での手品、さらには歌舞伎の舞台にも登場するなど縦横無尽の活躍で当時の人気者になったと伝えられています。変わったところでは、落語や浪曲・音曲などを収録した日本初のレコードもブラック師の尽力に及ぶところが大きいのだとか。べらんめぇ口調も小気味良いブラック師の高座は現在youtubeでも聞くことができます。
日本を愛し、陶芸芸術を世界に広めた陶芸家たち
陶芸の世界でも多くの外国人たちがその魅力に惹かれて日本を訪れます。
古くは6代目尾形乾山に学び、後に7代乾山となったバーナード・リーチ氏に始まり、日本の陶芸の伝統に影響を受けたポール・ソルドナー、ピーター・ヴォーコス、ピーター・カラスの諸氏が、アメリカ陶芸の基礎を築いたという経緯もあります。
現代の日本でもその熱意に変わりはありません。各地の陶房などに教えを請う外国人の姿はもう珍しいものではありません。
例えば、栃木県の益子町。惜しくも先年亡くなられましたが、この町に陶房を持ったアメリカ人のハービー・ヤング氏はその先駆者。彼に続く期待の作家たち、オーストラリア人のユアン・クレイグ氏、アメリカ人のマシュー・ジョン・ソヴヤニ氏、トルコ人のジェンギズ・ディクドウムシュ氏も益子でその技術と精神を学んだ人々です。
その他にも唐津焼のマイケル・マルティノ氏、また、メトロポリタン美術館、ヴィクトリア&アルバート博物館にも作品が収蔵されている白の練り込み技法を使った陶磁器作品が国際的に評価位の高い女性磁器練込陶芸家ドロシー・ファイブルマン氏など、日本の伝統技術に新しい感性、新たな変革をもたらす若い外国人たちの活躍に終わりはありません。
イケメン&細マッチョ庭師はスウェーデン生まれ
柔道、剣道、合気道など武道の世界では今や外国人の方が多いほどです。
また、茶道では裏千家準教授の資格を持つランディー・チャネル氏、大蔵流狂言のヒーブル・オンジェイ氏、生田流箏奏者のカーティス・パターソン氏など日本文化の伝統と底に流れる心に自らの道を見出す気持ちに国境はありません。
和紙工芸や藍染といった伝統工芸の世界を目指す外国人がいるというのも心強い話です。テレビなどで最近話題になったイケメン&マッチョ庭師、ヤコブ・セバスチャン・ビヨークこと村松 辰剛(むらまつ たつまさ)氏もその一人。日本の文化を強く意識するようになったのは高校生の時という彼。ホームステイで日本に滞在した際「わび・さび」に代表される日本独自の美意識に心奪われたのだといいます。親方・兄弟子と言った厳しい上下関係の「徒弟制度にも関心が高かったこともあり、後年日本庭園に美意識を感じた彼は23歳で庭師の親方に弟子入りし、2015年には日本人「村松辰剛」として帰化の道を選択しました。古いものを壊してしまうと、2度ともとには戻りません。そう語る村松氏。そこにはもうひとつの新しい日本人の姿がありました。
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