昭和の終わりころ、ヤクルトに入団したボブ・ホーナーの名前を聞いたことがありますか。93試合で31本という驚異的な本塁打を記録した彼が書いた一冊の本。そのタイトルは「地球の裏側にもうひとつの違う野球(ベースボール)があった」。アメリカで生まれ国民的スポーツとして人気を得たベースボールと、海を渡り長い時間をかけて日本人好みの競技に生まれ変わった野球。この似ているようでどこか違うベースボールと野球はそのままアメリカと日本の国民性を表しているのかも知れません。
正岡子規と野球のラブラブな関係
直訳すると塁球となるものを野球としたあたりに光るものが感じられますね。この秀逸なネーミングセンスの持ち主は第一高等中学校(現在の東大教養学部)の野球部員だった中馬庚。ショートストップを遊撃手したのも彼の発案のようです。これがきっかけかどうかはわかりませんが、その他の用語も日本語に置き換えられていきました。なんとなく、第二次世界大戦中に英語が禁止された影響かな?なんて思ってたんですけど、日本語化はそれ以前に基本が出来上がっていたみたいですね。野球用語といえばもうひとり、歌人の正岡子規も日本語化の推進者。「打者」「走者」「四球」「死球」「直球」「飛球」などは彼の作った言葉だそうです。ちなみに本名の升(のぼる)をもじって「野球(の・ぼーる)」と自称していたそうです。まったく、子規さんってば、どれだけ野球のことが好きなんだか。
そういえば海外から入ってきたスポーツでこれほど日本語化された競技って他にありませんよね。そんなあたりも昭和の時代、野球が国技の相撲を凌ぐ人気スポーツとなった理由の一端かも知れませんね。
チームのためにここは送りバントだとかみんなのために自分の欲を捨てて我慢するというところも犠牲的精神を大切にする昔の国民感情に合っていたのかも知れません。それにサッカーやバレー、バスケットは目が離せないけど、野球はねぇボールを投げるまでの手順があったり、選手の交代やタイムがあったり、ビール片手にのんびり見てられるじゃないですか、そのあたりお相撲と一緒かなって。リズムが日本人のライフスタイルに合っているのかもしれません。
来年は球場で応援しよう 野球はやっぱり面白い
そうこうする間に野球道の追求だの、地獄の特訓だの、根性のプレーとか。この精神論の世界がまた日本的なセンスにフィット。日本的な野球といえば軟式野球も日本オリジナルのスポーツ。このボールによる違いも日米の野球感に大きな影響を与えているそうです。というのもアメリカでの野球は危険なスポーツという認識。あの硬球が100キロを超える速度で飛んでくるのですものね危険なのは当然です。では軟式から野球を始めることの多い日本はというと「ボールに当たってでも塁に出ろ」「相手の内角ギリギリに投げろ」という指導者がかつては沢山いたものです。この文化の違いが野球のスタイルにも大きく影響を与えました。
高校野球の応援団というのも日本的な文化ですが、こちらはやりすぎない限りなんとなく好感がもてますね。でもやっぱり日本人って団体での行動が好きなんでしょうか。渋谷のハロウィンではありませんが、同じユニフォームの人たちと一緒にいると安心感があったりしますよね。あの球場の興奮や一体感、うん日本人好みだ。最近ではインターネットなどで海外の情報がダイレクトに入手できるせいか、日本の野球もずいぶんとアメリカンナイズされてきたようです。
そういえば一時オワコンなんて陰口を叩かれていた野球ですが、このところ観客数も年々増加してるみたいですよ。そんなベースボールチックな野球も面白いけど、高校野球のようにこれぞ日本の根性、汗と涙の爽やかな的な感じの野球文化も案外悪くないものです。あ〜あ今から2019年の開幕が楽しみだ。
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