日本文化は、その歴史と共にその時代を反映して誕生しています。時代の流れや人々の暮らしなど、いにしえの良き文化をひも解きながら旧石器時代から江戸時時代までの流れと文化誕生の背景と共に、順番で振り返り解説していきます。今でも文化財や世界遺産として残るものも数多くあり、日本を知るということは、日本の歴史や日本文化を知ることです。日本のことを知るきっかけに文化の歩みを振り返ってみます。
日本文化の流れと時代
文化という枠組みで表記されたのは、仏教文化が生まれた飛鳥時代からです。それ以前は、人々が生活の中で培ってきた暮らしが文化でした。
旧石器文化から新石器・縄文文化
今から数10万年前から1万年前と言われているこの時代、人々の生活は狩猟と採集中心でした。打製石器や動物の骨や黒曜石で槍を作り生活道具としていました。1万年前から紀元前4世紀頃が新石器、縄文時代の特徴は、土器使用と竪穴式住居の普及、貝塚です。縄文土器は、網目模様が施された日本独自の土器です。酸性土の日本で、採取した貝を食用後に大量に破棄した場所の貝塚には、人骨や壊れた土器など発見されました。
弥生文化から古墳文化
弥生時代の特徴は、稲作のはじまりと金属器の使用開始です。これらの技術や道具は、中国大陸からの起源です。古墳時代は3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指し、3世紀半ば過ぎから6世紀末頃は前方後円墳の時代です。古墳は権力者の大きなお墓です。世界で一番大きなお墓は仁徳天皇陵の大仙古墳です。出土品は、埴輪や副葬品の勾玉などです。大きな古墳を作った背景には権力者の偉大な力があり、中でも大和朝廷は、150年の間に全国に5200基もの古墳を造る偉大な勢力でした。また、5世紀以降は中国大陸や朝鮮半島から渡来人が多く来日し、百済から漢字や儒教が伝わっています。
飛鳥文化
現在の奈良県の飛鳥で発展した文化が飛鳥文化です。飛鳥は当時朝廷が置かれていました。仏像や寺院が作られ、建築様式が朝鮮半島や中国だけでなく、インドやイラン、ギリシャなどヨーロッパ文化の影響も受けていると言われています。豪族たちが建てた寺院である氏寺である日本初の寺院は、後に飛鳥寺と呼ばれ、蘇我馬子が建立しました。聖徳太子が建造した有名な寺院が法隆寺と中尊寺です。法隆寺は世界文化遺産にも登録され、世界最古の木造建築です。工芸品は、法隆寺玉虫厨子が有名で、この装飾に玉虫の羽が使われています。
白鳳文化
645年の大化の改新から710年の平城京遷都までの文化です。たくさんの優れた仏像が誕生しました。国宝も多く、薬師寺の金堂に祀られる「薬師三尊像」は有名です。薬師如来は、病気の苦しみから人々を救ってくれる医薬の仏として親しまれています。三体とも、当時の最高技術を駆使して造られ、流れるような美しい姿勢が特徴です。
白鳳時代を代表する絵画は、法隆寺「金堂壁画」と「高松塚古墳の壁画」「キトラ古墳壁画」です。壁には、12面にわたって釈や阿弥陀がいる浄土の世界が描かれています。インドや、中国・敦煌などに描かれた壁画とよく似ており、当時の日本が中国仏教の影響を強く受けていたことが分かります。高松塚古墳は、1972(昭和47)年に、石室の内部に壁画(国宝)が見つかったことで一躍有名になりました。西壁に描かれた女性4人の絵は、「飛鳥美人」と名付けられました。1983年には、「キトラ古墳」でも、同様に描かれた壁画が発見され、天井の天文図は、太陽・月・赤道などが描かれた本格的なものです。現存する中国式星図の中でも最古です。
平安時代(国風文化)
平安時代は、争いのない平和な時代が400年も続き、国風文化は、遣唐使の唐への派遣が廃止となり、日本独自の文化を華開かせました。建築分野では、寝殿造と呼ばれる建築様式で平等院鳳凰堂が有名です。藤原道長の子である藤原頼通が建立したお寺です。十円玉の絵柄で世界遺産でもあります。この時代の正装は、男性は束帯、女性は十二単です。
鎌倉文化
12世紀末葉から14世紀前半の文化で、武家政権の時代です。その影響から、武士の素朴で力強く写実的な側面を持っています。鎌倉時代の代表的な建築物が東大寺南大門です。平安時代の末期の暴風雨や、源平の合戦後に崩壊し、後白河法皇の命で修復して西暦1203年に完成しました。また、彫刻では運慶と快慶が作った「東大寺南大門金剛力士像」が有名です。
室町文化
天皇が征夷大将軍という位を武士に与えて、天皇の代わりに政治を行った時代です。また、公家の文化と武士の文化が融合が室町文化です。北山と東山の2つの文化が誕生しました。金閣寺や銀閣寺が建てられただけでなく、茶の湯や生け花など今日まで継承されています。また、室町文化は、特権階級の人達だけでなく民衆の間にも広まり、能楽、狂言やお伽草紙などが楽しまれました。わび、さびと言われる趣のある雪舟の「秋冬山水画」水墨画が有名です。
安土・桃山文化
戦国大名や豪商が作り上げたのが安土・桃山文化です。雄大で豪華なことが特徴です。姫路城や大阪城をはじめ、その内部に飾られた狩野永徳や狩野山楽による屏風絵「唐獅子図屏風」が代表的です。また、この時代は織田信長など戦国大名により仏教文化の影響が薄れたことも特徴です。庶民の間では、後の歌舞伎につながる「かぶき踊り」や三味線などが広まりました。その他、千利休による「茶道」の完成や朝鮮人陶工の技術で有田焼などが作られました。
元禄文化
江戸時代には、2つの文化が誕生しました。元禄文化は、17世紀末から18世紀初めに栄え、大阪や京都など上方が中心で、町人により支えられたのが特徴です。「人形浄瑠璃」の近松門左衛門や「浮世草子」の井原西鶴などが代表する人物です。その他、俳諧「奥の細道」松尾芭蕉や、浮世絵「見返り美人図」菱川師宣や装飾画である「風神雷神図屏風」俵屋宗達が有名です。
化政文化
江戸時代の後期の19世紀初めに栄えた文化で、江戸が中心の町人文化です。世の中に対しての風刺や皮肉が好まれ、狂歌や川柳が多く作られたのが特徴です。因みに、化政とは元号の文化と文政を合成した用語です。主な物には、「東海道中膝栗毛」十返舎一九や「南総里見八犬伝」滝沢馬琴です。俳諧では、小林一茶、与謝蕪村が挙げられます。また、浮世絵「美人画」喜多川歌麿や「富嶽三十六景」葛飾北斎、「東海道五十三次」歌川広重などが有名です。
時代背景を色濃く残す日本の文化
旧石器時代から江戸時代までの日本の文化を簡単に流れと共にご紹介しました。どの時代も人々の生活や政治など時代の流れの中で文化が誕生していることが分かります。外国からの影響や日本独自で発展してきた文化と様々です。また、今ある文化の中にも古くから続いている貴重な伝統文化があることも日本の特徴です。歴史を紐解き時代の流れを見ることは、日本文化や日本を知ることの一つであると言えます。
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